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2014年1月20日 (月)

フェルメール、光の王国

フェルメール、光の王国

福岡伸一 著

気鋭の分子生物学者が、なぜフェルメールに惹かれたか、今までわかるようでわからなかったが、この著書を読んでなるほど~と思うことが多かった。

やはり、フェルメールが生きたオランダは、市民階級の勃興や科学の振興があった時代だったのだ。
顕微鏡の製作者、レーウェンフックや哲学者のスピノザを輩出した時代だったのだ。
絵画も、寓意を多く含んだ宗教絵画から写実を重んじる市民の肖像画へ移行する時代でもあり、色とは何か、光とは何かを懸命に模索した時代だったのだと思う。
巻頭に、レーウェンフックの言葉が引用される。
「自分は絵がかけないので、顕微鏡で見えた姿を本物の画家に描いてくれるよう頼みました。」
あたかも、それがフェルメールだったかのような言葉だ。証拠はない。
証拠はないが、そうあってもぜんぜん不思議ではないし、むしろそうであったと考えるのが自然だ。ならば、自然の精妙さに感嘆する画家となって、写実への道を選んでいくのも当然と思える。
彼の絵の光は、たしかに光を粒子と思っているのでは?と思わせるものがある。
また色は波長によってつくられると直感的に思っているのでは?とも。
それがあの青色だし、毛皮の黄色だ。絵画は科学だったのか・・・
そして・・・
昆虫少年だった福岡氏がルリボシカミキリの瑠璃色の輝きに魅せられ、青年期に「真珠の耳飾の少女」のあの青いターバンのラピスラビリの色に深く揺り動かされ、自然の研究を志すことにも不思議な感じはしない。それはまるで、予定された1本の道のようにも思う。
後年、彼は、平明かつ的確な日本語の文章表現力を手にいれた。
そして、世界に散らばるフェルメールの絵画を訪ねあるき、管理者にエピソード、その思いを取材する。
彼を人選した編集者は慧眼である。これほどの適任者はいないのではないか。目線は、ファン目線だけではないし、科学者候でもない。
俺的におもしろいと思ったのは、ロンドンのケンウッドハウスにある「ギターを弾く少女」を、ポールマッカートニーがたびたび訪れては、見入っていたというエピソードである。
福岡氏は更にこの指の形が何かを、ミュージシャンに尋ねる。
「これはGだと思う。」と分析が。
なに!G。そういわれればそう見える。左手はコードチェンジしようというまさにその瞬間。また、右手の小指の支点がトレモロを弾いている瞬間を想起させる。
だとすると、後期ホワイトアルバムの時期に頻繁に、このフェルメールを詣でたのかな?
このアルバムの中にある、まさに、ポール版G線上のアリアと言うべき「ブラックバード」という曲のヒントに、フェルメールのこの絵画が影響を与えていたとしたら・・・いやあ、興味深い。
もっと言えば、ポールの曲作りにもフェルメールの分析的、科学的ともいえる傑作群が影響しているのかもね。
また、フェルメールが展示されている地にまつわる科学者のエピソードも紹介される。

野口英世、カッシーニ、ガロア、ワトソン、シェーンハイマー等々。
そして、「動的均衡」。福岡氏のこのキーワードの天啓を語る。

やはり1本の道筋だったのだ。

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コメント

一昨年、o1211さんがフェルメールのことを記事になさった時、私も福岡さんの本を読みました!
「絵画は科学」・・・同感です!ダヴィンチなんかはまさに森羅万象すべてに通じる博学者ですし、きのこや蜻蛉のガラス工芸で有名な、アールヌーヴォーのエミール・ガレも、植物学者ですよね。
伊藤若冲も、当時の日本では手に入りにくい、鉱物の青色を使っていて、それを知った時にも「芸術=科学」と思いました。
フェルメールの光も、あの青色も、自然界から抽出した雫であるからこそ、観る人の心を震わすのでしょう。

月桂樹の冠の緑色が経年変化で、青くなってしまったフェルメールの絵もあります。
青が鉱石由来で、黄色が植物由来の絵の具だったそうで、鉱物の青色が退色しなかったせいだったそうです。
それを修復しない美術館の姿勢もいいなあと思いますね。
それと、観察眼。なぜあのように風景、人物、静物を再現できるのか・・・
画家は、基礎研究者であると同時に臨床医の様でもあったんでしょうね。

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