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2013年8月22日 (木)

アコースティックギターの文化

今の若者たちの間に、アコースティックギターの文化は確かにある。
そして、みんな師匠がいる。
路上ライブ不定期開催する子にも先生がいる。
それは音楽的環境が成熟し始めている証左だと思う。

かつてのいわゆるフォークムーブメントは、ある種の青春のカタルシスやカウンターカルチャーといった、反抗、挫折、自由といったテーマが通低音にあったように思うのだが、今のアコースティックの傾向は、音楽的な成長や美しいと感じるものを中心に、非常に穏やかな音色に、歌詞への共鳴、社会性というより、個人の内面の繊細な動きを表現することに向かっている。
俺は、こういったアコースティックな楽器に向かう文化は、音楽的体験の積み重ねの上での、時代の成熟だと思う。
よいものを目指すことはまったく正しい。音楽的に真剣な先達に学ぶ姿勢、またその先達たちの存在そのものが、ある意味での「豊かさ」なんだと思う。そして、彼らが奏でる音楽こそ、今を生きる若者たちの声だ。

ということで、アコースティックライブ、夏の祭典?にご参集の皆さん、お疲れ様でした。

メモリーレーンも、昨年から随分と新企画を打ち出し、定例イベント、小規模対バンライブ、プロ、セミプロライブ等、随分進化しているなあ。
その進展具合を、出演者として見るということも、実に面白い経験である。

アコースティックライブには企画当初からかかわってきて、自分自身の意識の変化も感じる。
まず、歌も歌おうと思うようになったこと。
ヴォーカル教室、マジ行こうかなと思うぐらいだ。
素の音で勝負する場合、声の要素が占める割合は90%だ。

ギターについてもいろいろと感じる。
ギターは和音と単音が両方できる楽器であることを再認識した。また、ストロークプレイは、打楽器の要素が大きい。
そして、やはり「神、細部に宿り給う」だ。
リズムのキープをした上での変化が一番重要で、シンプルな中でも、オーディエンスを「はっ」とさせなければならない。
シンプルなコードストロークにも、強弱、ミュート、経過音など細かい技術がバンドの場合より、多く要求されると思う。

今回は安定したカホンのリズムとよく練れたtontoさんのヴォーカルがあった上でのギターで、前回より完成度は増したと思う。

自在なキーボーダーAYAKOさんと話していて、
「3コードでもいいのよ。要はどうアレンジするかだわね。そこが難しい。」
ということになった。まさに。

では、オーディエンスはどこを聴こうとするのか?
アコースティックという楽器の性格上、ビートを中心にはならないので、どうしてもメロディや声ということになる。
しみじみして、演者との距離感が近く、そこを楽しんでもらっているように思う。
また、自分もやってみようと思って当然なので、必然的にプレイヤーとオーディエンスが重なることになり、それぞれのプレイにお互い刺激を受けたり、意見を持ったりということになる。

やはり、そうなると安定したプレアビリティがますます必要となる。

「心をこめて弾け!うたえ!」
ということはどういうことか?俺は、当日に精一杯やるということではないと思う。
自分の長所を伸ばし、足りない部分をおぎなう、そんな準備を時間が許す限り行うということだ。その結果は、甘受し、次に生かす。その繰り返しをすることが「心をこめる」ということの意味だと思った。
練習しないとできないし、気がつかないことが多いんだ。
「みんなと時間合わすことが本当に難しい・・・」
これもAYAKOさんの言葉。
やはり大事なのは、そういうことだ。

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