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2013年6月 8日 (土)

絶対音感の話

スタジオにて練習中、絶対音感の話になった。
「もっている人、うらやましい・・・」という方もみえる。
「譜面をみて、すっとあわせれたら、いいなあと思いますよ。」

なるほどねえ。歌い手さんだと特にそう思うかもしれないねえ。自分の中にチューナーがないと、あわせにくいのかもしれない。
確かに、俺も歌い始めて、音源無しに譜面だけで歌おうとしたとき、音をどうとるのか迷うね。
俺の場合、基準点は440mhzのAの音を口で出してみて、のどの震え具合や脳への響き具合などから、Aを確定させておく。
そのうえでマイナーペンタトニックを繰り返しつぶやいて、あわせている。
合唱などでやっているウォーミングアップには意味があると最近は思えるようになったなあ。
ギターの場合は、コード譜とタブ譜があればなんとでもなるんだが、やはり聴いた瞬間に、リードなり、コードなりが把握できるかどうかは重要なことだ。アドリブ力は違う方面からのトレーニングを要すと思う。
最近の曲の進行は凝りすぎていて、定石をあえてはずそうとしているように聞こえるが、成功していると思うものは少ない。
その人の持っている歌い回しをどうリード的、コード的に表現するかは、繰り返しの練習の中からしか見えないね。
譜面を読み取ったり、書き取ったりする力は後天的なトレーニングなんだと思う。
子どものうちから仕込めばできると思うけれど、そう重要かなあ?
・・・・・
最相葉月著「絶対音感」
面白かったね。

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音楽家の特異の才能という見方が、一般的な「絶対音感」観だと思うが、それはどういったものをさし、なぜ形成され、どこへ行くのかといったことを考察した本だ。
この本にはたくさんの指摘があるのだが、自分の経験の含めて言えば、絶対音感の有無と歌のうまさ、楽器のうまさ、楽曲のよさは必ずしもリンクしていないということだ。
確実にいえるのは、絶対音感があってもギターは弾けないよ。
ただ、不興な音から脱出したいがため、ひどく練習してしまうかもしれない。これは尊い努力?とは若干別の話だ。
もうひとつ突っ込んで言えば、「絶対音感」は旧人類の名残の異物なのではないかという観点もある。
聴覚があまりに鋭いと、世界には不興な音が満ち溢れており、自らを傷つけてしまう恐れもあり、もはや忘れるべき感覚と言っていいのではないかということだ。耳にはふたが無い。いつでも逃げられるようにする準備だったろうし、聴覚はもっと鋭敏だったんだろうと思う。
敵なのか獲物なのかを聞き分けるといった・・・絶対音感はその名残なのではないかなあ?
翻って、現代。
犬がEで鳴いていたり、飛行機がB♭で飛んでいたりすることをいつも意識してしまうと、いちいち疲れてしまうだろう。
耳を澄ますということは大事だが、耳を閉じることも目を閉じることと同じぐらい大事なことだ。耳は脳で聞こえなくするのだ。ぐっすり眠って、物が落ちても気がつかないことも重要じゃない?
・・・・・・
現代の音楽を荒っぽくまとめてしまうと、最重要はビートなんだと思う。
リズムはその曲の指針であるが、ビートは身体感覚である。
単純なクリック音の繰り返しによる酩酊感こそに、多くの人に支持される要因があると思う。
ダンスを愛する人たちは若者を中心に大変広がっているし、更に社交ダンスや地元の踊りを入れれば、老若男女が楽しめるこちらが主流であることがわかる。
身体感覚には、理解は不要なのだ。感じて、体を動かせば確実にトランス状態に入る。
音楽はいまや、ビートにおける身体感覚の使徒といってもいいのでは?
今の曲はこの辺も凝ってるよ。
ビート感覚が研ぎ澄まされてくるのが、現代なのかもね。
・・・・・・・・
でも、逆説的に、俺は今アコースティックギターと歌というスタイルを試している。
この時代に。
みんなどう思って、何が出てくるのかな?

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