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2013年5月20日 (月)

大説と小説1

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

村上春樹著

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自分は村上春樹のいい読者ではないと思う。
「羊をめぐる冒険」以降の作品にはきちんと目を通してはいない。
でも、その小説世界に引き込まれる感覚はわかる。
自分の中にない言語感覚なんだが、わかるわかる!となる部分が多い。
それは、その小説の世界が、現在の世界の置かれているリアルな状況につながっているように感じ、読み手が共有感覚を持つからではないか・・・
また、この作品では、外部の状況に対する、個人の内面の動きがモチーフとなり、様々な文章技法が投入されている小説世界という感じを受けた。
この両面を言ってみれば、「大説と小説」ということになる。
外部のリアルな世界の状況を考え、処方箋、解説などを唱えることを「大説」とするならば、そこに置かれた人がどうなるかを空想し、文章、ストーリーに表現するのが「小説」となる。
小さな説。
しかし、それは世界を動かすのだ。小説による世界性への参加。
自分の中には、いやいや、プロットによるエンターテインメント性こそ小説、面白い小説を読みたい!という部分もあり、また、多くの作家が目指すところである。
村上氏には、そういった巧みさは感じない。
しかし、この小説が持つ会話、心理の描写は、抽象的で、形而上的なところこそあるが、非常に外部の世界とのつながりを感じさせる。
この文体は稀有なものに思う。
そして、村上氏は、大説は語らず、小説家であり続けようとしている。
そう感じた。

1、自分が思う彼の世界認識

人が何をよしとし、何を悲劇と感じるかは様々だけれど、最近とみに、起こる出来事の肌触りが随分変化していると感じる。
企業と国家の関係の変化がもっとも大きなものだと思う。
搾取、収奪に対しても、そこそこ法的規制をかけ、通貨管理により、国家間の調整を果たし、税金というみかじめ料を得ていた、国家権力と独占資本との蜜月は終焉を迎えつつある。
独占資本の動きは規制の緩い方、少しでも利ざやが稼げる方へ動く。
もはや国家など飛び越えている。
更に、情報を操り、倍倍ゲームで肥大化した投機的金融資本は、その金の力に物を言わせ、不都合な規制までも変容させていってしまう。
そして、今、マーケットや工場が世界に移れば、ドメスティックな言語や文化は邪魔でしかなくなる・・・・
・・・・・・
しかし、この世界は、独占資本や金融資本の勝者のみで構成されているわけではない。
まず生きるということは、家族や地域から始まるのだ。
習慣、文化、宗教、食事、生と死、また老いも若きも、強いも弱いも、賢も愚も含んでいる。
グローバルとドメスティック。
この齟齬に、生き辛さや貧困の累積の要因があり、暴力や絶望の火種が孕んでいるんだと思う。
俺は、この小説を読んで、彼は、世界をこう認識しているのではないかと類推した。
彼の小説には、常に正面から向き合った、真摯で正鵠な世界認識があると感じている。

2、小説の構造

冒頭でも言ったが、俺は彼のいい読者ではない。彼の主人公群がなぜこう語るのか、理解できない部分がある。
すごく繊細な人たちが描かれているし、個人的には、いらいらしてくるのだ。
しかし、これが日本のある部分を代表しているし、周りを見渡すと、この仲間内のような連中が主流のようにも見える。
ここに、「荒っぽい社会と繊細な心情」という小説のテーマがあると思う。
そこに希望を見たり、世界の新しい有り様を考えるのは読者の仕事だ。読み手はインスパイアされて、仕事、行動が変わるはずだし、それこそが文学の仕事で、小説が目指すべき地平なんだと思う。
・・・・・
で、この小説の設定だが、名古屋の同じ公立高校出身の、非常に過不足無く均衡の取れた仲の、5人の男女が主人公群だ。
中でも、ただ一人苗字に色の名を持たない多崎つくるは、東京の大学に進学し、そのまま就職している。
ただ、大学時代に、この五人組から突然の絶交宣言をされ、相当へこみながらも踏ん張って生き抜いた過去をもつ。
そして、36歳の年、付き合い始めた年上の彼女の示唆により、当時の絶交の真相を確かめるべく、一人ずつ訪ね、過去の出来事を洗い出していき、現在の彼らの状況を知ることになっていく。
この旅が巡礼であり、この謎解きにカタルシスがあり、読み物としてもわかりやすい。今まで、彼の小説にはあまり感じたことのない特長だ。
まず思ったことは、この設定に、なぜ名古屋が選ばれたかだ。
また、つくるの趣味の水泳の描写、同じ趣味を持つものとして、めちゃくちゃわかる!でも30分で1.5kmはすげえはやい!ちょっとへこむ・・・
こんな設定されたら、俺は大人の読書感想文、書かざるを得ない。
・・・・・
俺はこの土地の人間ではない。でも、名古屋好きだ。
この大都会にあって、この地域性。
すべてが備わり、生きやすい、そういった部分があるかと思えば、トヨタを筆頭とする、グローバル企業が存在する。
彼はここに日本の象徴を見たのではないか?
いい悪いではない。
様々な要素が混在するが、雑多ではなく、繊細で、ある種の円環を閉じた社会・・・
また、人々のキャラクター設定が、あまりに身近で、まるで知り合いのようだ。いるぜ。こういう奴。
元ラガーマンで、某車会社の凄腕ディーラー。
地元国大を出て、怪しいコンサルタント会社社長。
焼き物に魅せられ、フィンランドで暮らす陶芸家。
ピアノ教師。
モデルの公立高校は、明和か千種か?
陶芸家の修行地は瀬戸か多治見か?
高級車販売店は何区にある?
社長、何ゼミ?
とか、この小説には名古屋人的な楽しみ方もあるよ。
・・・・・・・
村上氏が、この名古屋を舞台にしたということは、、グローバル社会によって変容せざるを得なく、また変容しつつあるが、まだまだ機能しているこの地の地域性と均衡性に、ある種のノスタルジックな世界を見たのではないだろうか・・・
違うかな?
実際の若者も戻ってくる。
東京は、地域性はもう相当希薄になっているし、住居として見たら辛すぎるだろうと思わざるを得ないが、名古屋は住みやすいんだ。
水も空気も大都会と思えない。守山区なんか、同級生と子どもの知り合いばかりだ。人口200万の大都市とは思えない。
なおかつ都会の便利さはあるんだよなあ。
偉大なる田舎。まさに。
でも、変化は激しくなってきていると思う。のほほんとはしていられなくなってきている。
エネルギー問題、雇用環境、自然災害、安全性・・・課題はどこも一緒だ。

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コメント

二十代前半、村上春樹作品を漁るように読んでいた時期がありました。
非現実性に浸ることによって、ある意味脳内を空っぽにしていたように思えます。そしてその究極が「ノルウェイの森」。当時この本を持ち、読むことは一つのステイタスでもあったような。。。
その後結婚し、長男がお腹に居た時、色々な本をよみましたが、村上作品には全く手を付けませんでした。安定感のある幸せを求めたい時、「死」のベールを感じる村上作品は意識的に避けていたんですよね。
でも今、「田崎つくる・・・」は読みたいと思っています。図書館に貸し出し予約しましたが、36人待ち!!多分今年中には読めませんネ(><)

すみません~!変換ミスです!!
「田崎」じゃなく 「多崎つくる」ですね!

はやってましたね。当時。村上春樹。今も健在なところが素晴らしい。
3人ぐらい、村上春樹好きな奴はいたけれど、ステータスだったとは・・・貧乏で酒ばかり飲んでるような連中でした。・・・
確かに刺激的で、大声出して走りだしたくなるような小説で、ああだこうだ話してましたね。
多分今読むとまったく印象が違うと思います。
実は実家の母親がちゃんと買ってました。新し物好きなんだなあ。
きよっちさんの感想も読みたいなあ。

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