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2013年1月 9日 (水)

支倉常長の生涯

正月見るともなしに、伊達政宗が支倉常長をスペインに派遣し、南蛮貿易を拡張しようとしていた時代の番組を見た。

お笑い芸人、ロンドン五輪のメダリストたちのバラエティといったぼんやり見るものばかりで、完全にふやけていたのだが・・・
それにしても、競技人口を増やし、その種目の理解を広めようと、選手自ら広告塔になり、コケにされながら、奮闘する姿は涙ぐましいなあ。本人嫌いじゃあ出来ないと思うが、ちょっと正視に耐えない部分もある。「いじる」という側に、もう少し敬意を持ってほしいなあ。
もし、このメダリストたちが政治屋になってしまったら・・・ちょっと悲しい。

駅伝、ラグビー、アメフトなどのスポーツも見てしまう。やっぱり正月はこれだ。

さて、支倉常長。
キリシタン大名として有名だ。いきさつは詳しく知らなかった。
戦国時代、関が原の合戦以降、各大名は地力をつけるため、殖産興業、生産力向上を至上命令とし、仙台藩主伊達正宗とて例外ではない。
更なる産業勃興を目指し、当時「太陽の沈まぬ国」といわれたスペインとの交易確立を目指す。気宇壮大である。
家臣の支倉常長に命じ、メキシコを経由し、スペインに使節として向かわせた。
書状と交易の品ともなる日本刀をもたせ、そして布教の自由を許した条件で。
相当に覚悟を決めた交易交渉だったと思う。それだけ対徳川の意識が強かったのだと思う。
ところが、スペイン国王の返事ははかばかしくない。
異教徒を拒んだとも、当時経由地のひとつだったフィリピンからの圧力だったとも言われる。
業を煮やした支倉常長は、すごい手段に出る。カトリックへの改宗である。

Hasekura2

これをどういうニュアンスで受け取るか。
俺は、神への忠誠心ではなく、仕事の完遂、伊達家への忠誠ではなかったかと思う。
しかし、スペインとの交易交渉は結実せず、結局は目的達成未遂のまま、帰国することになった。そして病没。

そして今このエピソードが語られるのはなぜか?
それは、今まで大きな要因と思われていなかった大地震の勃発である。

1611年慶長三陸地震。

文献にでていた災害の大きさが、今、みな初めて理解できたのだと思う・・・
文献によれば、派遣の2年前、大津波が仙台を襲い、すべてを押し流し、5000人もの死者がでたとされる。
それもあって伊達政宗は、石巻の復興、殖産興業、交易の確立を急いだのではないかというのだ。
新説だが、恐ろしいほどの説得力を持つ。
支倉常長の改宗してまで、仕事をなそうとすることも、このある意味救荒的事業の目的なら説得力を持つ。
支倉常長の担当した交易確立は果たせなかったが、関係各位の奮闘により、おおいに米が取れるようになり、また、有数の港として再建された石巻は、この米を江戸におくる交易でおおいに栄えたという。

そういうものだろうと思う。さまざまな方向を目指すが、形になるものは違うところから生まれてくる。

スペインに、ハポンという姓が残る町がある。
使節団の一部が帰国せず、生涯を送ったとされる町である。
日本人、サムライたちの末裔・・・みなそれを信じ、不思議な感じがある。いつかいってみたいと思った。

この番組は、震災復興として伊達政宗がとりくんだ、この飛躍をいまこそ!という願いをこめて作られた番組だっと思う。
災害復興と支倉常長の生涯。ここで結びついた。

絶対にできると思うね。

ただ、原発。これだけは清算しなければ・・・

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コメント

松島、瑞巌寺の隣の円通院に伊達正宗の嫡孫「光宗公」の霊廟「三慧殿」があるんだけど
これが3世紀もの間秘蔵とされていたんです。昨春行ってみて秘蔵の理由がわかりました。光宗公はキリシタンだったんですね。廟内部の装飾が隠れキリシタンそのものなんですよ。だから江戸期には絶対公開されることはなく、その後もひっそりと守られていて、最近になってようやく公開。長らく日の目を見なかったから彩色の衰えがなくそれはそれは美しい廟でした。O1211さんの文章を読んで思い出したものですから・・。

なるほど。
伊達政宗のキリスト教への好意は、相当にアイデンティティがあったとも思えますね。
徳川期の禁教施策以前に、キリスト教の地盤ができていたんでしょうね。
伊達家の嫡男が隠れキリシタンだったとは・・・
かなり対徳川意識があるね。
これが幕末まで続いたんだ・・・

慶長遣欧使節が震災復興とか何を言ってるんですか。
大河ドラマ並みのこじつけです。なんでも美談にすればいいってもんじゃないでしょう。

新説と小説をきちんと区別してください。

どうせご自分の気に入らない批判は削除すると思いますが、郷土史家の立場から言わねばならないと思いました。

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