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2012年11月11日 (日)

江戸の味が食べてくなって

江戸の味が食べてくなって
池波食エッセイの真骨頂だね。

もう手だれの文章、職人の文章としか言いようがない!
また本人の手なる絵にも味がある。あっさり、ざっくりの絵がぴたりとはまる。またいくつかの俳句も紹介され、つるつると入ってきてしまい、あっという間に読み終わってしまう。
むかし、辻邦生が面白い本は読むのが惜しくて、ページを抑えながら読んだといったことがあるが、まさにそんな感じ。
もったいないんで、ちょこちょこと読むことにする。
小鍋の話にやられた。
寄せ鍋にして、さまざまな味を楽しむというところから、具の種類の少ない鍋で1~2人でつつく鍋のよさ。
アサリと白菜のみの鍋。
若いうちはこんなんじゃあいけねえや、といいながら、だんだんとこんな感じの鍋に惹かれていく。ちょっとわかるようになって来た。というニュアンスがわかる。
素材の味をはっきりわかりたいのだ。
きっと、年食ってきて、酸いも甘いの噛み分けていいものはいいとわかってきたんだ。
いやいや、違うなあ。
細胞分裂が不活発になって、舌の味蕾が減ってきたせいだ。とほほ。でも、こんなものでいいよ。それが年だ。認める。
ああ、こんな文章は書かないなあ。池波氏は。

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コメント

いいのさ、味は五感で味わうもの。文章だけで味わうのはほんの一部の人だけだから。けどさ、大人の3種鍋ってのが流行ってるんだってね。小鍋に具は3種、それを2人で突っつくんだってさ。どう?

味を文章にして伝えるのは本当に難しいです。
だからついつい楽チンな写真に逃げてしまいます。

でもボクは味と同時にそれに絡む人間模様に興味があります。

もとい。池波氏の食文章について。だった。
池波氏の時代小説はよくドラマ・映像化されるんだけども、その時の監督プロデューサーや予算の関係で、書中にはこと微細に描かれている「食」が完全にスルーされることが多々あるんだよね。反対にこだわるプロデューサーの場合はフードコーディネーターや江戸食文化の研究者まで招いてその「膳」を再現してくれる。私、結構こういう部分を見入ってしまうのね。食と人間模様の関係もおのずと物語に深みを与えるし。
いいよねえ。食べたくなるって、誰でも。

若い頃とは違い、この年齢になると食べるタイミングやシチュエーションも調味料のひとつとなりますからね。人それぞれの思い出があるように、食に関する思いも様々なのでしょう。
「池波正太郎のホットケーキ」も一時話題になりましたね。ホッとケーキって簡単なはずなのに、中々あのふっくら感を出すのは難しいんです。
「散歩の途中・・・」では名古屋の百老亭のことも書かれていますね。若い頃には画家になろうとしたこともあり、多趣味・多才な方ですから、色々な面から「おいで!おいで!」してくれますよネ^^

sinoさん、三種鍋わかる!メイン、副、青物これで充分引き立つ。
アンコウと豆腐とねぎとか、豚に白菜とか。
TVシリーズはあまり見てなかったけど、時代劇の考証はそれこそ神、細部に宿り給うで、ここがきちんとしていると見る気が起こるね。
至芸とはまさにこういうことなんだろうね。

ojさんは写真撮ってください。そっちの芸が細かくなってきた。
ほんと文章って難しい。池波さんは何でああつるっと入ってくるのかなあ。全然角がない。
料理の中に垣間見える人間性。確かにおもしろい。

きよっちさんの博識ぶりには驚かされますねえ。
池波ワールドはまだまだ初心者なんですが、今池界隈にも言及されていたなんて驚きです。
あのあたりは自分も好きでよく行ってました。味仙と梅田屋、それからオープンハウスというライブハウス、で糸満という沖縄料理屋。
今でも自転車で通りかかりはしますが・・・
ほんと、池波氏は多芸ですねえ。

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