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2012年9月 7日 (金)

神、細部に宿り給う。

事象の本質は、細かいところにも貫徹するし、むしろ、細部が整っていることこそ本質なのかもしれないね。

小説なんか読んでいると、本筋とは別系の描写に全体の雰囲気とか、作者の人となりが出るもんだなあと思うね。
プロットの伏線としての意味でなくて、歩いている風景の描写とか、会話の端々とかにそういうものがでる。
その意味からいって、最近流行の東野圭吾氏や「天地明察」の沖方丁氏などの文章は、テーマのためにそぎ落とした、論理的な文章に感じる。
ディティールにも緊密な伏線を感じる。
でも、様々な情景は描かれているので、ハメットやチャンドラー、はたまたもう少し古いヘミングウェイといったハードボイルド的描写とは明らかに違う。ハードボイルドは心理描写はない。事実の積み上げと、会話があるのみだ。
特に、沖方丁氏の「天地明察」は、理系的論理の積み上げによる説得性をもって、小説のリアリティを与えようとしているかに見えるし、それに成功している。完成度は高い。神、細部に宿り給っている小説だと思うね。若干、木で鼻をくくった感もある。
こういった感じは、昨今の日本のエンターテインメント小説のパターンなのかなあ。
ちょっと考えてみたんだが、ある種、これは均一な教育的効果なんじゃないだろうか。
たとえば、関孝和が「この設問、好きだな。」と笑うくだりなんか、いいね。わかる。こういう感じの秀才はいたよ。
切腹でもせんばかりの勢いの主人公を一瞬のうちに救い出す、鮮やかな局面だが、自分たちの学校でも経験してそうなことである。ある意味、高校の教育カリキュラムから脱却できなくて、こういったやや受験的で、論旨明快なわかりやすい文章やシチュエーションにアイデンティティのある人が増えた、ということじゃあないか?
それに、展開がやさしい。いい人が多くて、ほっとする。
爺さんの皮をかぶった子どもたち、と表現された探検隊のめんめんなんかのくだりはほんとにほっとする。
確かにもうどぎついのはつらいなあ。
たとえで出してすまないが、西村賢太氏の「苦役列車」なんかはどぎつくて読むのにもうつらい・・・
あと感じることは、ドストエフスキーのような空間を言葉で埋め尽くしていくような、全編無駄ともいえる中に限りない真実味を出すといった文章はもはや出てこないかもということだ。
埴谷雄高や大西巨人みたいな小説はもうありえないのかなあ・・・「死霊」や「神聖喜劇」といったこれらの作品はある種の病理と表裏一体で、心の傷を多く抱えた戦後性から、内面を凝視してしまい、これぞ文学!という感じで成立してきたんだろうと思うけどね。
開高健氏の「闇三部作」もそうなんだよ。戦後体験とベトナム戦争の体験から、穴が開くほど見つめてしまった自らの心のひだを腑分けしたかのようだ。
俺は、育ちは違うんだが、どうもこのあたりに立脚点があるんだよなあ。
ちなみに、開高氏の短編、「玉、砕ける」はすごい短編小説だよ。
ベトナムから帰国途中、やってもらったあかすりでもらった自分の垢の玉が、帰国したとたん、崩壊する話なんだが、2重3重のメタファーと寓意性が、自らの心に引っかき傷を残す。この小説は、いまだ現代性を帯びている・・・
まあ、でも、今の小節群、何読んでも楽しいよ。現代の小説はよく練れていますね。

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コメント

文章に対する感想を文章に仕立てるって、楽しいけれど難しいことだと思います。しかも例を引いたり、比較をしたり。評論ともちょっと違う。読ませてもらうこっちは楽しい。ありがとね。

そうですか?うれしいね。
確かに難しいですね。ネタばれは避けないといけないし、書評じゃあないしね。
大人の読書感想文だと思ってます。心の整理かなあ。飲んで語るのと同じかなあ。

探検隊の建部さんと伊藤さん、老練な方でありながら、夢にあふれた少年の心を持ち続けている。年若い春海の問いかけに、「うん」と答えるところなんて、「可愛い!」と思ってしまいました。
会議所で政策や損得勘定をしているだけの、頭でっかちの人種とは違い、冒険家・発明家・技術者という人たちは、ロマンを忘れずに仕事をしているのでしょうね。
何度も壁にぶつかりながらも、春海が任務遂行できたのも、関さんの存在があったからなのでしょう。算学・・・学問でありながら、最高の「大人の遊び」のようにも思えました。
私も「天地明察」の感想を、近々ブログにアップしようと思っていました。
o1211さんの素晴らしいレビューを先に読ませていただいちゃったら、ちょ~っと躊躇しちゃいますが・・・私のような、な~んにも知らない主婦サイドの感想として、近いうちに書いてみたいと思っています^^

何にも知らないなんて、またまた、きよっちさん。
同じ本読んでの感想をかきあうなんて考えてみれば不思議ですね。SNSとはちょっと違う、ブログならではですね。
コナンドイルが学生のころ、教室にはいってきたなりいきなり学生の状況を言い当てる教授がいたそうです。それがホームズの造形につながったと語っていたそうです。
伊藤も建部も関も、作者の大学の同じ研究室にモデルがいたんじゃないかなあ。
生き生きしすぎてますもん。若い者に教えを請える年配者、かくありたいですね。
自分に足りないものは多くて、若くても持っているものがいいものはいいんですね。すべてのことについて素直に認める所からしか出発できないと思います。
遊びで働き、仕事で遊ぶ。境目はぼやけてきました。お金かあ・・・あるに越したことはないが・・・

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