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2012年7月22日 (日)

アローの一般不可能性定理

社会の最適選考論という学問が成立し、社会的事象に関して、科学としてアプローチしたいという気持ちはわかるなあ。

マーケットのコントロールや政策の有効性についても合理的な説得性がほしいのは当然のことだ。
しかし、社会科学というものは、実験できるものでもなく、歴史や経験から導き出される法則が多い。
となると、一般レベルで膾炙されることわざや箴言に、ことの本質が隠されていることが多いし、専門用語をわざと捻じ曲げて使い、かく乱させ、我欲を満たそうとするものも絶えないかなあ。
なかなか難しいんだよね。
アローの一般不可能性定理というものがある。

抜粋

「アローは n 人の有限人個人からなる社会の構成員全員の選好関係 \succeq_i (「選好プロファイル」) (\succeq_1, \ldots, \succeq_n) を独立変数とし、「社会選好」とよばれる選好関係 \succeq を従属変数とする関数を考え、 それを「社会厚生関数」(選好集計ルール) と呼んだ。ここで社会選好 \succeq は次の2つの公理を満たすことを仮定する (ただし x \succeq y は選択肢  xy 以上にランクされる (好ましい) ことを表す; \succeq は数字の不等号とは異なる; 記号 \succeq の代わりに「関係」(relation) を表す R の文字が使われることも多い):

  • 完備性. 任意の2つの選択肢 x, y に対し、x\succeq y もしくは y\succeq x が成立する。すなわち xy 以上に望ましいか、yx 以上に望ましいかのいずれかである。(このうち前者だけが成立するとき x\succ y と書き、xy よりも好ましいことを表す。後者だけが成立するとき (y\succ x) は、yx よりも好ましい。いずれも成立するときは xy は無差別という。記号 \succ の代わりに「より好む」(prefer) を表す P の文字が使われることも多い。なお「反射性」すなわち任意の選択肢 x にかんして x \succeq x が成立することは,完備性から導かれる。)
  • 推移性. 任意の3つの選択肢 x, y, z にたいし、x\succeq y かつ y\succeq z ならば x\succeq z となる。すなわち xy 以上に望ましく、yz 以上に望ましければ、xz 以上に望ましい。

選好関係がこれら2つの公理を満たすならば、選択肢が何個あろうともそれが有限個である限り、最も良い選択肢(1個とは限らない)を選ぶことができる。 その意味でこのような選好関係は「合理性」を持つと言える。

そしてアローは、社会厚生関数が下記の4条件 (これらもしばしば「公理」とよばれる) をみたすことが「民主制」にとって不可欠であるとした。

  • 定義域の非限定性 (普遍性). 社会を構成するそれぞれの個人は、完備性・推移性を満たす限りどのような選好をも持ち得る。(すなわち個人選好 \succeq_i が上記の公理をみたすことのみを仮定。この条件は「社会厚生関数」の定義にふくまれることも多い。)
  • 全会一致性 (パレート原則). 社会の全員の選好が「x は y よりも望ましい」と一致している場合、社会選好も「x は y よりも望ましい」となる。(すなわち「すべての個人  i について x\succ_i y」ならば,x \succ y となる。)
  • 無関係な選択対象からの独立性. 選択肢 x と y にかかわる社会選好が、それらふたつの選択肢にかんする個人の順序づけのみで決まる。すなわちその他の選択肢 z に関する個人的選好によって左右されない。(すなわち x \succeq y が成立しているかどうかを知るためには、それら特定の x, y について、x \succeq_i yy\succeq_i x のいずれ,あるいは両方,が成り立っているかをすべての個人 i について記述したデータがあれば十分である。)
  • 非独裁性. 構成員の中に「独裁者」(そのひとが x を y より望ましいとしたときは、かならず社会選好でも x が y より望ましくなるような個人) が存在しない。(すなわち「任意の選好プロファイルについて、もし x \succ_i y ならば,x \succ y となるような」個人 i が存在しない。)

アローの定理とは、3つ以上の選択肢があるとき、上述した社会選好に関する2つの公理と民主制のための4つの条件をすべて満たす社会厚生関数は存在しないことをしめした定理である。すなわち社会が選択肢を合理的に選べるための 2つの公理 (社会選好が完備で推移的であること) と民主的決定のための 4条件とは互いに矛盾することを示した。

この否定的結論は「社会的決定の合理性と民主制の両立は困難である」とか「民主主義は不可能である」といった (それ自体は誤りとは言えない) 主張に単純化されて理解されることもあった。 定理の内容が正しく理解されたにせよそうでなかったにせよ、 この定理が「一般意思」「社会的善」「公共善」「人民の意思」といった主張に疑いを投げかけたことはまちがいない[4]。 この定理をアロー自身は「一般可能性定理」と呼んだ。しかしこの定理のもつ否定的含意から、「アローの不可能性定理」と呼ばれるのが一般的となった。」

煎じ詰めると、民主主義的な個人の選択が保障されている社会的合意がある仮定の上で、3つ以上の選択肢がある場合、1つのものに決めることは不可能であることを証明したとされる定理なんだが、この定理は直感的に正しい!と思う感覚がある。
決めきれない歴史は、近代以降かなり繰り返されている。逆に決めきる方向は必ず異分子排除、大量虐殺につながっている。あざなえる縄の如し。
今のサブカルチャーのある種のテロリズム化、排外主義化、小集団化はまさに、この時代の反映であると思う。
で、「決めきる政治」という言葉が、某市長の口からよく出る。
この手法は、小泉政権時からのやり方で、ある種の自民党の断末魔的悪あがきだったともいえる。
決めきれないいらだちを感じている、明確な階級という概念ではくくれないにせよ、ある種の階層が、実効性をまったく検証せずに、何事かを敵に回し、社会の矛盾をそのせいにすることにし、そこの排除によって処方箋を書くという手法だ。
最近、この手の論者が社会の枠組みを変えたがるね。特に地方の首長は、地方議会で第1党をとればかなり強権的な政治ができる。
某市のように、首長も第1党もグダグダだと話にもならないが。
自治体ポピュリズムという本もあるくらいだ。
地方自治二元論というやつだ。どちらも負託を受けているので、オール与党になれば話は進むというかつての構造だね。いや、中身が違う!と力もうが、某市長たちがやろうとしていることは同じことだし、あの理屈を飛ばされたら、大多数が切り捨てられることになる。
ではどうすれば・・・少なくても独裁ではない・・・

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コメント

最後20行は解った!
小泉にはウチも痛い目にあったからね。
マスコミを操作するような政治はいかん。
マスコミも賢くならにゃ。そして市民もね。

すいません。わけわからんことをいって。
史上最も民主的な憲法を持ったワイマール共和国からナチスが生まれてきた要因は何か、説得性を持った原理論を知りたいと考えていたらここに行き着きました。
今、まさに当事者なので。
人々の投票行動には、コンドルセのパラドクスという矛盾が内包されていて・・・すいません。あほだな俺は。

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