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2012年6月22日 (金)

ゲームフィッシングの考え方

作家の開高健氏は、日本のルアーフィッシングの草分け的存在の一人で、探究心の塊のような実釣ぶりと精妙な表現力により、ゲームフィッシングのブームを起こしたのだが、その本質は自然保護運動の象徴として語られるべき人だと思う。

「俺は人寄せパンダでええんやな。」といって、引き受けた長良川河口堰反対運動会長職。遺言だったのかもしれないなあ。
当時、疑似餌で魚を狙い、漁と釣りを分けて考え、魚について想像をめぐらせ、その戦略の精度によってカタルシスを得るというスポーツ性を、日本人のライフスタイルに提案したといって過言ではない。
魚の習性や種類、周囲の環境など深く知る意味と、キャッチアンドリリースによる魚種の保存という2つのことを、随筆や写真によって示して見せた。
意義が大きい行為だと思う。
でも俺は、この考え方は、人間の業としての釣り、また職業としての漁が成立していてはじめて機能するアンチテーゼなんだと考えるね。
俺は、ブームとしてルアーやフライをしている人にとやかく言うつもりはないが、生えさや魚に触りたくないとか、食べたいと思わない人が参入してくるとは思っていなかった。
今はそういう人はモバイルゲームに行っているのかな?
自分の中に、業としての釣りという概念がある。
釣りでなければ出会えない魚を食べることによって、すべての五感を使って理解できる。採って食べることを通じて、生きることそのものを感じるのだ。現代日本はあまりにひ弱になっていると思う。自分の手を穢して、生き抜く意味を考えるべきだ。金や物では解決しないことが多いのだ。
漁や農がなければ、人間そのものが生きていけない。漁や農に携わる人の再生産が、その職業において成立することが前提である。そういう政治や経済の仕組みが必要だし、その意味を知ることがものすごく重要だと考える。
それをもっとも身近で理解できる手段、それが釣りだ。
学童夏祭りでおいしい!といって食べてもらえることはこの上もない喜びである。皆に意味が伝わったと感じるからだ。

で、ここからは、試行錯誤の熟練への道。
実は釣る魚、釣る手段のことだが、俺は何でもいいのだ。おいしく食べてしまうぞ!
テンカラという和式の毛ばりつりも興味しんしんだし、ワームを使った穴釣りなんかも面白そう。
船もいかだもやってみたいが、なかなかチャンスがないなあ。まあ、いずれ。

で、今年のテーマ、鮎つり。
こんなルアーを買ってみた。

Reayu

reayu。なんか笑えるネーミング。

日本古来のゲームフィッシングとしての鮎つり!という惹き句には?がつきますが、囮がへたったときには使えるんじゃなかろうか?
半信半疑なんだが、石に当たっても音がしないシリコンラバー製静音設計!とか、鼻カン位置6段階変更システムとか、なんか説得力があって、こういうのに弱いんだなあ・・・
一匹釣れたら普通の友釣りにすればいいし、へたってきたら、このルアーを使うという作戦だ。もちろん、激しい荒瀬や、ねがかり多発地域ではちょっと無理だが、1匹確保を絶対したいといったときには有効ではないかなあ。
操作はどうなんだろう?やってみないとわからんなあ。これでかかったら、はまってしまうかも・・・
うーん、やっぱり、俺の鮎つりはマイナス思考だなあ。

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コメント

勿論理想はコレを使わずに真の囮で釣り続ける事ですよね。
僕が鮎なら少なくともコイツには引っかかりたくは無いかも…。

いやあ、下手の横好きで、妄想だらけですね。
あまごのほうは20くらい出ました。日曜AOさんが行きます。期待できますね。
明日、一個いいのでましたので、随筆風にあっぷします。

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