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2012年5月14日 (月)

市場教の人々

マーケット信仰.。
朝日新聞1,2面に特集。「カオスの深遠、市場の正体」という連載記事。

マネタリスト、ミルトンフリードマン氏の孫、パトリフリードマン氏のアップルトピア構想。
規制からの自由を標榜し、価値観を共有できるものだけで社会を作り、他のものは、いくつかの中から好みの社会を選択する。民主主義の多数派の形成を無駄ととらえ、競争によるスピードが最適選考をもたらすと考える。
ホンジュラスのまったく無制約の特区の記事。これも驚きだ。
国内法も税の徴収も適用されない。壁に隔てられて、ほとんど現地にお金を落とすことはないが、税金も規制もない特区に、ファンド系金融資本は殺到する。
事実が自分のイマジネーションに先行している。
自由の行き着く先がここなのか?
マーケットが民主主義を崩壊させるというべき事態だ。
一言、言わさせてもらうと「規制からの自由」は「貧困からの自由」を視野に入れたものではないと思う。
歴史的に見ると、戦前の大恐慌の処方箋としてケインズの有効需要創出政策が採用された。
そして、大きな政府の非効率が叫ばれて、レーガンやサッチャーが展開した金融政策を重視したサプライサイド経済学をベースとした新自由主義的政策。
そして、グローバリズムといわれる今の時代。
ネットの進展や消費者行動の急激な変化は、軋轢や混乱、はたまた新たな冨を生み出しているといっていい。
情報の高度化により、富の蓄積は更に加速度的に進み、いまや強大な力を持ち、国家をも飲み込む時代なのだ。
産業革命以降、近代資本主義が成立し、イデオロギーは清廉潔白なプロテスタンティズムであり、政治形態として民主主義というスタイルは、長く信奉されてきた。
しかし、「地獄への道は善意の敷石に敷き詰められている。」
植民地支配の収奪、階級抑圧による搾取が常態化し、2度の大きなカタストロフを招いた。
惨禍は繰り返してはいけない。
戦後は、権力や資本主義の暴走を法治的に抑えながら、税や社会保障を通じ、すべての人に再分配をしていくということが戦後民主主義の標榜であり、理想のモデルだったと思う。管理通貨制度、財政投融資、金利政策、日本は財政発動と業界護送船団方式。優秀だとされる官僚群を集めて行う国家独占的資本主義。
しかし、戦後民主主義も機能的だったとは言いがたい。いまや、貧富の差は国家間ごと、階層ごとに広がり、政治は合意形成に手間取り、行政も法治をこえたことができない。後手後手とまわり、スピードある商売にしてやられる。
これらのいらだちが、政治不信になり、劇場型リーダーの台頭を許し、利己的行動につながる理由の大きい部分かなと思う。
巨大な金融資本が、すべてを敗者に追い込むような極端な市場原理主義に走った場合、再度怪物のようなイデオロギーがもたげてくる可能性がある。今すぐではないと信じたいが、きな臭くなっている。
今の俺には現在の処方箋を書く力はない。今のところ欠点だらけの民主主義を使うしかないかなと思う。
情報がどんなに早くなっても、公正でなければデバイスが生まれ、憎しみや差別が再生産されてしまうのだ。10%の人間が80%の冨を独占し、その考え方に90%の人間が同調できるのですかね?

やはり原理は、貧困からの自由と不公正からの自由であってほしい。

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コメント

劇場型リーダーの台頭を許す世論も悪いですよね。
もう少し勉強し、冷静な目を持つことが必要と思います。

今、自分の中では考え時なんだと思ってますね。
まあ、あまり根を詰めるといやになりますから、程々にしながらね。
こんなに情報が行きかい、伝達が早いのに、なんかおかしいなあと感じています。
さあ、仕事だ・・・

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