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2012年4月14日 (土)

銃・病原菌・鉄

ジャレドダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」。
これは一度目を通しておきたかった。
今回、草思社から文庫版が出たので、読んでみた。

問題意識は、人類が発生してから様々な攻防を繰り返しつつも、なぜ今の人種が残ってきたのかということだし、人類史の研究によって今後の指針を立てようということに他ならないね。
この人は信用できると感じた。
博覧強記。
1ページあたり人類史150年を語っている。
歴史家でありながらフィールドワーカーであり、帰納と演繹を果てしなく行っている。思考のプロセスにまっすぐさを感じる。
知りえた学説とフィールドでつかんだ直感が随所に出ている。
この学説を知るだけでも充分刺激的な本だ。
ニューギニアの現地の人からの質問、「われわれはあなたにあげれるものはないのだが、君たち白人はなぜそんなにたくさんのものを持っているのだ?」という言葉に対する誠実無比な回答だが、それは、真の理由がつかめない独白でもある。
ニューギニアの人にも、その森に生きるという知識、適応力、システムにもらうものはたくさんあるのだが。

ただ、この人類学的知識を捻じ曲げ、悪用しようとする奴が出てくる危険はある。
危険なのは、優生遺伝学だが、まあニセモノは見抜けるかなあ。また、逆に残虐な種族という不当な差別。無意味な排除につながる危険はあるかも。注意は要する。
ダイアモンド氏の場合、狩猟から農耕にいたる変化の証拠をフィールドでさがす。炭素14年代測定法にも疑問を呈し、思い込みを排除する努力を続けている。ここだ。信用できるところは。
すべてが思い込みの学者、教師、市民など、たくさんいる。特にひどいのは政治家…
彼は生産力が上がった段階での動物の家畜化とそこから発生する病原菌に注目する。
免疫がない菌に見舞われたら、その種はひとたまりもないだろう。
大量全滅の繰り返しの例証として、天然痘、インフルエンザが上げられる。
また、銃。
スペインのピサロによるインカ文明の惨殺。5万人が160人に殺されるという恐ろしい事態。
何があったのか。
鉄による絶滅。
鉄による虐殺例はインドネシアの各島による殺し合いの実態。弓矢の武器から刀剣へ。
この間に始まった大型動物の絶滅。
ヒト属が関与したと思われる種の絶滅、人種間の絶滅の証拠を何とかフィールドワークからつかもうとしている。直感的には感じていたことだ。それを何とか立証しようとし、防ぐ手立てを考えようとしていると思う。
栽培は植物の生存の戦略から成立してきたとの指摘。
甘い果実と消化させない種。それが農業の黎明であったと。
そして、文字の発明。文字を持たない文化もある
歴史は実験できない。観察の科学である。
結論は、その人種の置かれていた環境によって、その環境適応がそこに暮らす人の運命であり、オーストラリアのアボリジニは灼熱地獄に水分と食料を見つける能力には突出していたが、世界を支配などとは思わなかったということにつきるのかな。
なぜ白人が支配的になっているのかという答えは明確にはない。
要素として、生産力の集中が質的転化をもたらし、様々な発明を呼び、このような世界になったということだ。異論反論は網羅的にダイアモンド氏が答えてくれるよ。説得力をもってね。
では、今後の世界をどう捉えるべきか。
いつどこで何かが起こり、大絶滅や大量破壊が起こってもまったく不思議はない。
狂気は絶滅への道だが、理性が防ぐというものでもないかも。
少なくとも、人間という種の絶滅が起こっても、宇宙はびくともしないね。
困るのは人同士だ。

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コメント

最後のフレーズが重いですね・・。
ホント、人間は愚かで弱いモノだと思います。
いま人類はスゴイ勢いでエンディングに向かってる気がする。

まあそんな貴重な場面に立ち会えるのならそれもいいかと・・。

ちょっと前に評判になった本ですね。刺激的で面白かったですよ。
こんなに便利になっても、このままでいいのかなあという気持ちはみんな持っているんじゃないかなあ。
終末論じみたことは思わないのですが、危機感はありますね。
近未来で破滅は見たくないな・・・

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