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2012年3月29日 (木)

現代歳時記

sinoさんに借りた「現代歳時記」。
こちらもちらちらコツコツと読み進める。

自分も、年間通じて季節ごとに遊んできた。
ざっと言えば、花見、渓流釣り、山菜採り、潮干狩り、鮎釣り、野球、海水浴、川遊び、キャンプ、虫取り、ハゼ釣り、バザー、子どもまつり、炭火焼、バレーボール、ラグビー、紅葉狩り、音楽会、忘年会、スキー、自転車などなど。
時期が来ると「そろそろこれだな・・」という気持になる。
その感覚がきっと日本人特有で、俳句という文化がさくっとはまることに気がついたんだ。
歳時記をみると、日本人が自然を愛で、寄り添うように生き、もうその楽しみ方があるわあるわ、知らない文化続出である。うわ、やってみたい!とか、おもしろそう!とか、これなんだ?とか目白押しである。まだまだ遊び足りない。
歳時記があれば、ブログネタなんか尽きることがないね。
ところで、職場でちょっと話題になったことなんだが、新聞に金子兜太先生の新季語採用の記事があった。
原曝忌。
自然を詠んできた日本にあるまじき季語・・・
もはや後戻りできない。直ちに原子力発電はやめるべきだと思うし、鎮魂と痛恨の思いがつのる。
これをバカな市民がほざいていると思っている、学者、官僚、政治家、経済人がいるのならば、今まで行ってきたり、言ったりしてきた責任だけはとってほしい。
3.11以降、日本は変らなければならないのだ。
俳句など始めてみんと原曝忌
もう一つ感じたことは、ものごとは白黒はっきりしない方がいい場合もあるということだ。
法律や科学、もしくは宗教でも基準を厳格化すると、角が立って、諍うことが増えるのだ。で、本質をひっくり返すような、ある種のニセモノが逆に横行することにもつながる。
貧困ビジネスなど法的基準は完璧に満たしているが、許されない。これはいい例だ。基準に頼りすぎてはいけない。モラルとしての一線である。生活保護という最後のセーフティネットは風前の灯である。
俳句の場合は、言葉による季節感は感じ方が様々だし、生活の変化が歳時記とずれてくる場合もある。
たとえば、ラグビーの夏合宿は、ラグビーが冬の季語であるが故、詠みにくく、何かの手を使わねばならない。
であるがゆえか、雑項目が立ち、増える一方である。
そのことは、金子兜太先生も認めている。
がしかし、季語にかかる制約こそ、俳句を俳句たらしめているのではないかと考えられる。
ここは、旧守派でいいと思うのだが・・・もちろん無季語の句を否定するものではないし、いい悪いは人々の膾炙にのぼるか否かできまるところがあると思う。
季語に採用するかどうかも様々な論があるし、言い合うことでまあよしとするぐらいにとどめてほしいと思う。
いいものはいいし、だめなものはだめなんだと思うよ。

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コメント

原爆忌は8月で原曝忌は3月、雪女は冬でいうれい(ゆうれい)は夏、季語による制約を嘆くより、奥深い季語の力を信じて詠む。ってことですかね。 ご健吟を!

ラグビーの夏合宿、なるほど・・。
今は野菜も年がら年中スーパーに売っていて旬も分かりにくくなっていますね。
あと、温帯湿潤から亜熱帯化して「ゲリラ雷雨」のように昔は無かった表現が出現していますね。
そういった今昔の俳句の移り変わりも面白いですね。

sinoさん、そうです。季語の力・・・いい言葉だなあ。
いつも季節は感じていたいなあ。
自転車はほんとに身にしみるよー。

ojさん、そうそう。
なんか、ちょっとずれてたり、変わってきたりもあるんだが、ここを何とか通過していいものにしていくことに醍醐味があるんじゃあなかろうかと。
フォーマットをいじりたがるのは、暇な管理職だけです。

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