初句会
さて、本日は句会というものに初挑戦で、結構緊張していたのだ。
場所は、則武コミュニティーセンター。名古屋駅の西側。
そうか、そこまで、ポタリングで行けばいいか、ということで、自転車で出発。
矢田橋から矢田川を見ると、釣り人が。シラハエ狙いかな…
そうだ、途中、石橋楽器によってピックでも買おうと丸栄スカイルへ。
おお、ブックオフができている!ユニクロがフロア拡張している!このネタは別稿でアップだ。
広小路を下ると、御園座が。俺初めて見た。楽しみにしてる人も多いんだろうね。
おお、ここでカメラが壊れた!なにー!レンズが何かに引っ掛かって出てこない。万事休す。
しゃあない。句会に集中だ。
集まった方は、我々を入れて10人。遠くは福井小浜から。豊橋や岡崎からの参加の方も。年配の方がほとんどで、sinoさんから氏名表をいただく。皆さんすげえなあ。
仕組みも興味深かった。
まず、準備していた俳句4首を無記名で短冊に書きこんで、投句する。
それを皆で手分けして一覧表のフォーマットに書き写す。字体を隠す手段かな。あーあ、下手だねえ。俺。ガキの頃は習字好きだったんだが…
それをA3用紙に張り付けて、人数分コピーして、皆に配布する。
次に、その中の句で自分がいいと思うものを8首選んで用紙に書き写し、それを幹事さんに渡す。
ここで、誰がどの句を選んだかを幹事さんが読み上げる。
皆がそれを自分でチェックし、点数にする。
今日は、欠席者の分も入れると68首。最高点は4点で、4首。
で、どこがいいと思ったかを、一人づつ語り、皆で解釈しあう。
最後に作った人が名乗って、作った意図を話す。やはり解釈とは違っていたり、それを含んだ意図だったりと種明かしのようで楽しい。
で、1点でも入った句を、上部の支部に送り、さらに吟味してもらい、最終的に句報に載せ、共有する。
こんな仕組みかな。
この日は、4月に行う小浜の吟行打ち合わせも兼ねていたようだ。ここでお暇することとして、ご挨拶。
日本人も昔から、いい遊びしてたんだ!
印象を記しておくと、解釈の議論が楽しい。情景や心理や言葉をあーだこーだといって、自分の句を面前でいじられるのは、初体験でドキドキしたが、皆さん奥深い方で、人となり丸ごと理解しようとしている姿勢が、些事にこだわらない大ぶりな楽しみ方だと思った。
「あーあ、今日一と思ってたのに1点も入らずかあ…」
「そんなもんだ。」
この悔しがり様と、一刀両断の慰め方に味あり。
自分としては、俳句を俳句として楽しんでいないなあということに気がついた。
自分が今したいこと、それを表現することにかまけて、俳句を道具として見ていたのだ。だから秋の句といわれると、今、自分の興味ある情景しか出てこないんだ。
もっといろいろなモノやコトで季節を感じて、それをフィードバックするようにしないとだめだなあ。
ちょっと興味深かった。勉強になりました。ありがとうございました。
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へースゴイ!
やっぱりo1211さん、文章巧いわ。
その時の情景がメチャメチャ頭に浮かびます。
俳句の面白さはタネ明かししたときのギャップであったり解釈の違いを楽しむ事であるわけですね。
俳句を通しての人との交流は楽しそうですね。
投稿: ojisanchez | 2011年10月10日 (月) 00時36分
いやあ、刺激的だったね。面白かった。笑いが絶えなかったし、ふっとしもに流れたり、変な句を愛好したり。
見知らぬ人でも、すごく親しくなれた感じでしたね。ゆっくりと、まあまあふうふうと、トキトキせずにやっていこうかなあ。
sinoさん、返す返すありがとうございました。
投稿: o1211 | 2011年10月10日 (月) 10時44分
おつかれさまでした。かなりの緊張だったと思います。
ウチの句会は男性が多いでしょ。俳句はもともと男の文芸ですからね。平日の文化センターだとそうはいかず女性が大半ですが。
貴重な土曜の午後を潰すのですから、楽しく学習できなければ続きません。無理せずお付き合いください。10年やったって私なんぞまだまだ下っ端ですから。
投稿: sino | 2011年10月10日 (月) 18時57分
なるほど、男の文芸だったのですなあ。そう言われれば確かに。
上達が目に見えないのはギターと一緒です。壁がいくつも出てきます。どこまでやっても先は見えないです。でも、そのプロセスそのものが、例えばギターを弾くという行為であり、俳句をつくるという行為なんだろうと思います。
今自分が使える時間を、さまざまに少しづつ割り当てて、いろいろなことを向上させたいなあ。何を目指しているのかはあまり分からない…でも、間違ってないと思う。
投稿: o1211 | 2011年10月10日 (月) 23時31分