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2011年10月20日 (木)

「風が強く吹いている」で感じた能力論

能力とは何か。

子どもは天才とか、すべての子どもは何かを持っているというけれど、ちょっと抵抗があるんだよなあ。

確かに子どもらしいきらめきやハッとなる言葉なんかに反応するけれど、大人のサイドからの見方であって、彼らは無意識だと思う。

夭逝の天才というと、俺は、詩人のランボーと数学者のガロアを思い出す。

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ランボーは砂漠で行き倒れて死に、ガロアは決闘に敗れて死んだ。彼らの業績の「地獄の一季節」や「群論」は、瑞々しく、すばらしいものだとは思うが、次の可能性を考えると死が惜しまれる。続けていればどこまで行ったんだろうと思う。

「風が強く吹いている」を読むと、長距離に向いた肉体の持ち主というものは厳然として存在している。フィジカル的な意味においてだ。その意味では、間違いなく人は誰しも向いているものはある。短距離に向いているもの、野球に向いているもの、スポーツに向いてなくても、音楽や勉強に向いていたり、性格的にリーダーシップがあったりとかあるだろうね。

問題は、2つあると思う。

続けられるかということと社会的に評価をきちんとされるかだ。

早いうちから経験値を積んでいるものや怪物のような奴を目の前にしても、必死に考え続け、何らかの対応をできるかにかかる。

もうひとつは、いわゆる人気のないものに適性を見出しても周りがちゃんと評価してやれるかということだ。社会的に没頭できる環境を作れるかどうかということだ。

この条件がそろって、人の能力が開花したといえるんじゃないか?

もちろんスポーツや音楽のことだけではなくて、人の営みすべてについてだ。人が現在おこなっていることには、必然性があると思うし、その条件の元でやっているはずだ。いやいややっていたり、しらけていたりするのは、まだ発見できていないか、理解していないかのどっちかだと思う。

人の能力とは、何らかの形で人に貢献でき、そこに高い使命感を見出して、没入して、見えてくるものだと思う。

さて、俺はなにものか。また何をすべきか。

何らかの形で、若い子達の力になりたいとは思ってるなあ。

もうひとつ、昨今の状況では、オタクという系譜がある。

自己の世界に没入して、小さなコミュニティーを形成して、異文化と決して交流しない人々である。昔からいたし、男にはどこかそういう気質があるものだ。鉄チャンにしても、バンドマンにしても、昆虫採集にしても趣味的世界だし、ただそういうものは他者との交流と切り結びはある。

仮想現実に生きてしまうとちょっとまずいのでは?

ただ、俺はこの人たちに可能性を感じるのだ。この突出した知識量と倦まず弛まず精進する姿が、職人にかぶる時もある。いろいろな種類があるとは思うけどね。

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コメント

なるほど。
何かが見つかった子供は強い。
僕はまずは「好き」が大前提にあると思いますね。
そして「継続」、結果「開花」
何でも良いんですよね、何か好きなモノを見つけて欲しいと思います。

ただ現代の世の中、それで食っていける土壌があまりに小さい。

そうです。どう食ってもらうかが大事だと思う。
若い子が「マンション買いませんか?」なんて電話をかけてくると悲しくなる。もっとちゃんと仕事してほしいし、大人が若い衆を食いものにしているとしか思えない。
能力がちゃんと行かせる社会になってほしいなあ。つうか、しないといかん!

小学校4-5年でやりたいこと、就きたい職業を決めると思春期を過ごしやすいらしいですね。

実は、俺たち世代もちょっときついかなと思っています。特に男。
身につけてきたものが通用しなくなって、さらに求められてしまう。若いやつらに負け始めている。で、威張ってもっともらしいことをいって、ごまかす。
俺は、若い衆になんか見せれるものは持っていたい。
知識や感覚や技術を変化に即応できるように工夫して、磨き続けるしかないなあ。

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