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2011年10月15日 (土)

日本の川を旅する

野田友佑氏を知ったのは、ビーパル誌のエッセイと椎名誠氏との対談集である。

カヌーイスト、エッセイストとして有名であり、開高健氏とともに長良川河口堰建設反対運動の象徴でもある。

カヌーという遊びはまったく知らなかった。中高生のときはケッタで川に遊びに行き、魚や水と遊ぶことには夢中だったけれど。

初エッセイの「日本の川を旅する」。

面白かったなあ。

上流から海に至るまで、カヌーで下り、川原に泊り、魚を釣って、酒を飲み、楽器を奏でる。

うーん、絶対いい!やってみたくてじたばたしていた。

長良川、四万十川、釧路川。その表情は美しく、時に厳しく。俺が持っている知識をめぐらせて空想だけはいつもしていた。

そして、アラスカユーコン川。いきてえ。

でも、野田氏は、日本の川をめぐる状況、日本人のメンタリティをひどく憂えており、その警鐘は正鵠であったと思う。ダムや堰堤などの構築物による川の収奪、または、公共事業によるバラマキ、河川管理者の官僚主義、危機管理出来ない日本人など、今行き着く果てに来たのかもしれない。

その象徴としての長良川河口堰。

そして、原発事故。

俺には、河口堰の建設も原子力発電所の建設も、産官学が一体となって、自然や地域を収奪する構造としてまったく同じに見える。

日本の釣り師は、世俗からの逃避をもくろむが、かえって鮮明に、痛切に知らされるのだ。

政治にイヤでもかかわらざるを得なくなる。

そして自らをも試される。何をなすべきかは、自ら培ったものの上で考えて行うべきことなのだ。

旗幟を鮮明にするのは、このblgの任ではないが、釣りを語る以上、避けては通れない。

語るべきは、釣果ではない。釣法でもない。自分と自然とのかかわりである。

目に青葉 国は敗れて 山河あれ

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コメント

徳山ダム・・。
何度か見に行きました。
あれほどの建造物を造ってどれほどの生態系が狂ったことか。
マイナスの要素があまりにも大きい気がします。
何で人間がここまで自然を支配しようとするのでしょうね。

カッコイイ~~。
「語るべきは、釣果ではない。釣法でもない。自分と自然とのかかわりである。」
そうだ!


ojさん、徳山はダム前、ダム後見ています。俺には悪魔の所業にしか見えません。しっぺ返しを食らわされるでしょう。もう食らってるか…
原因は、利権です。公共事業にすがる生き方を強制されてきたのです。重機を一回手にいれてしまえば止まりません。ほんとにシステムを考え直さないといかんと思いますよ。

sinoさん、かっこよすぎましたね。恥ずかしいです。
最近、何事でも、強く思うと実現できるような気がしてます。継続して発信していきたいです。

徳山ダムは、注水の前日に見ました。あのときはこの景色を脳に焼き付けようと必死で見ました。そして昨年は青々と空を映す仲秋の日、このダム湖、大きすぎると思いました。手つかずの自然なんてもうないのかも。

揖斐川は流域面積の割に豪雪地帯を抱えた暴れ川なのです。水と土砂がものすごく出て木曾三川の中でいちばん治水ダムが多く、切り裂かれています。もはや、ダムの大半が土砂で埋まり始め、排砂でもしそうで怖いです。大変なことになります。徳山はまた埋まり始めるでしょう。ダムで治水はできないということだと思います。恐ろしいことに利用者のいないダムの水を長良川水系の板取川に導水する計画まであるのです。違う水系の水を流すなんて…信じられないです。山里の自立性を奪っておいて札束をちらつかせて水にしずめ、権力者たちは日本をどうしたいのでしょう。徳山を考えると怒りが収まらないです。手つかずの自然はもはやないでしょう。もっときちんと考えて共存していかないと、未来が見えないです。すいません、つい、熱くなりました。

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